
(野球解説者 元・読売巨人軍投手)
健康を維持するために、投手時代からずっと続けてきているのが、朝起きたとき、夜寝るときに水を飲むことです。人間の身体の70%は水分ですからね、習慣というか、無意識のうちにやっています。
現役の時には、食事の仕方にも気をつけました。若いときには、何も考えずに好きなものを食べていまして、試合中に隠れてバナナを食べているところを監督に見つかったなんて事もありました。
ですが、ある程度の年齢が来ると、そういう訳にはいきません。登板する日と、その前日には、なるべく胃に負担をかけないものを食べるようにするんです。投げた日の夕食は、当然体も神経も疲れきっていますので、麺類とか、水分補給だけとか、胃を休ませてやります。そして翌日に肉類を食べたり、そういう工夫をしていました。
今でも、食べる量には気をつけていますよ、メタボにならないようにね。
スポーツ選手が現役を引退すると、運動をしなくなるから体型が変わってしまうという話はよく聞きます。幸い私はゴルフが好きで、ハードな運動ではないにしても、よく歩きますので、適度な運動になっていると思います。ゴルフを続けているのも、私にとっては健康法の一つかな。
今までに大きな怪我をしたというのは一度だけ。椎間板ヘルニアで、それは選手生命に関わるものでした。
平成3年の事ですが、対戦中に、センター方向へ打ち返された打球をマウンド上で足を伸ばして止めて、アウトにしたのですが、その時についた尻もちの影響で、椎間板が飛び出してしまったらしく、足が動かなくなってしまいました。アメリカのドクターに見てもらったところ、こう言われました。「野球を諦めて成功率の高い手術をするか、野球を続けるために、成功率の低い危険な手術をするか、自分で決めなさい」と。手術が失敗すると車いす生活になりますが、私は手術する決断をしました。好きな野球を続けたい、ただそれだけでした。
生まれたばかりの頃の私は、ミルクも飲まずに、体はどんどん痩せ細って、栄養失調で死にかけたそうなんです。それでも両親に支えられ、元気に育ててもらって、本当に感謝しています。7人兄弟の末っ子で、わがまま放題で育ちました。
だからなにかひとつでも親孝行がしたいと思い、甲子園を目指しましたが、1年生、2年生と出場できず。3年生の最後の夏の大会に向けて、初めて「努力」というものをしましたが、それでも結局、甲子園出場は果たせませんでした。半年程度の努力では、結果は出せないのだと知り、悔し涙を流しました。
でも、そこが私の、人生のスタート地点だったのです。野球が、あの時の悔しい思いが、私の人生を変えた。野球があるからこそ「西本聖」でいられる。その野球を続けるために、人生をかけて、私は危険な手術を選択しました。手術は無事成功し、再びマウンドに立つことができたのです。
私の引退試合は、チームが最終戦まで優勝争いをしていたために、シーズン中には行なえませんでした。そのかわりに、チームメイトたちが多摩川グランドでやろうと企画してくれて、その時には監督も駆けつけてくれました。急きょ、私服のまま代打で打席に立ち、打って、走っていただいて。ユニフォームじゃないところが、また良いんです。最高に嬉しかったですね。
巨人軍に入団して、監督を始めとする素晴らしい指導者やチームメイトとの出会い。そして怪我を克服して野球を続けられたこと。これらは全て、私にとってはかけがえのない財産です。だからこそ、引退後も、指導者、そして解説者という立場で野球界に貢献していたいんです。これが、私にとって一番の健康法かもしれませんね。これ以上幸せなことって、ありませんから。(談)